■ 2013-05-15
溢れる
5月15日は、今から20年前の1993年にJリーグが開幕した日です。
この年、僕は25歳。幸せなことにオリジナル10(TEN)の一角、サンフレッチェ広島のある街、広島市でフリーでパーソナリティーとして活動していました。
3月末にはRCC(中国放送)で開幕を前にしたJリーグを紹介する特別番組「THE WAY TO GOAL」の構成・演出・出演を担当させていただき、4月からは同局でサンフレッチェの応援番組「ミ・アモーレ・サンフレッチェ」の制作と出演を、RCCスポーツ部の鈴木アナウンサーと担当。
わくわく感と緊張感の入り混じる日々を送っていたと記憶しています。
いわゆる「Jリーグ開幕戦」=ヴェルディ川崎対横浜マリノスは、当時親しくさせていただいていたサンフレッチェの選手の家で、7人ぐらいが集まってテレビで観戦。
「感動」という言葉では表現できないほどの喜びをみんなで分かち合いました。
翌16日は忘れもしない広島県総合グランドメインスタジアム(NRで現Coca-Cola West 広島スタジアム)での広島HOME開幕戦、サンフレッチェ広島 vsジェフユナイテッド市原。
この試合はRCCの横山雄二アナウンサーと僕で実況中継。実況担当は横山アナで、僕は解説を担当させていただきました。
15000人の観客で超満員に膨れ上がったスタジアム。スタンド全体がチームカラーの紫色で埋め尽くされていました。
当時はまだチアホンが禁止となっていなかったため、その音もすごかった!
選手紹介も終わらない、キックオフからわずか1分。独特の前傾姿勢でまさに風のようにスピードに乗ったキャプテン風間八宏(現・川崎フロンターレ監督)の素晴らしいボレーシュートが決まり、サンフレッチェが先制!
スタンドのあちこちで振られるフラッグと、轟音ともいえる歓声が紫の波となり、うねりとなってスタジアムから溢れ、広島の街を包んで行く感覚にとらわれました。
Jリーグ入りを目指すレノファ山口。
元々その町にあったJリーグチームではなく、サポーターや関係者と共に昇格を目指し闘いJに向かう。
今度は維新百年記念公園陸上競技場からオレンジ色の波を、うねりを、街中に溢れさせたい!
2013年の5月15日はそんな思いも溢れてくる日でした。
この年、僕は25歳。幸せなことにオリジナル10(TEN)の一角、サンフレッチェ広島のある街、広島市でフリーでパーソナリティーとして活動していました。
3月末にはRCC(中国放送)で開幕を前にしたJリーグを紹介する特別番組「THE WAY TO GOAL」の構成・演出・出演を担当させていただき、4月からは同局でサンフレッチェの応援番組「ミ・アモーレ・サンフレッチェ」の制作と出演を、RCCスポーツ部の鈴木アナウンサーと担当。
わくわく感と緊張感の入り混じる日々を送っていたと記憶しています。
いわゆる「Jリーグ開幕戦」=ヴェルディ川崎対横浜マリノスは、当時親しくさせていただいていたサンフレッチェの選手の家で、7人ぐらいが集まってテレビで観戦。
「感動」という言葉では表現できないほどの喜びをみんなで分かち合いました。
翌16日は忘れもしない広島県総合グランドメインスタジアム(NRで現Coca-Cola West 広島スタジアム)での広島HOME開幕戦、サンフレッチェ広島 vsジェフユナイテッド市原。
この試合はRCCの横山雄二アナウンサーと僕で実況中継。実況担当は横山アナで、僕は解説を担当させていただきました。
15000人の観客で超満員に膨れ上がったスタジアム。スタンド全体がチームカラーの紫色で埋め尽くされていました。
当時はまだチアホンが禁止となっていなかったため、その音もすごかった!
選手紹介も終わらない、キックオフからわずか1分。独特の前傾姿勢でまさに風のようにスピードに乗ったキャプテン風間八宏(現・川崎フロンターレ監督)の素晴らしいボレーシュートが決まり、サンフレッチェが先制!
スタンドのあちこちで振られるフラッグと、轟音ともいえる歓声が紫の波となり、うねりとなってスタジアムから溢れ、広島の街を包んで行く感覚にとらわれました。
Jリーグ入りを目指すレノファ山口。
元々その町にあったJリーグチームではなく、サポーターや関係者と共に昇格を目指し闘いJに向かう。
今度は維新百年記念公園陸上競技場からオレンジ色の波を、うねりを、街中に溢れさせたい!
2013年の5月15日はそんな思いも溢れてくる日でした。
| Category: 5 コラム | posted at 14:56 | by 金光 |
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